アクセス解析
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- --:-- | スポンサー広告
食事について(お茶でにごす)
食事とは必要な栄養素を摂る行為である。

…と思ってきたのであるが違う。
ドラマでは違う。

間であり、非日常(事件)の中の日常の部分である。

現実においても食事は栄養素を摂る行為以上の意味を持っている。

家族団らんの場には食事があり、
結婚式は人が集まって飯を食べ、
葬式には人が集まって飯を食べる。
政治家やいろんな人が談合する時は食事あって、

食事の空間は考え方や事情、思想や宗教、民俗の垣根を無効にする。
一次的…部分的に相違を解消する効力を持っている。

そこで話さずとも…。
人との食事は、そこに何ら得るものがなくとも、自動的にそれ以上の絆を作ったり深めたりする行為である。

いかなる非日常空間においても食事はその空間の日常的時間であり、食事はいかなる非日常空間も日常に引き戻す。

日常の中核は食事であるが、それに近い要素として掃除や洗濯がある。

私が最近、食事がドラマにおいて日常や結束、それ以上の意味を持つ事に気づいてしまったのであるが、これは夢にだに思いも及ばなかったなかった事実である。

食事についてもっと詳しく考えたいが、訓練についてもいずれ考えたい。

お茶を濁すんじゃなくて、そのまんまお茶で濁してるんだ。
同じ釜の飯を食ったという事実は絆の事実。
スポンサーサイト
2012-10-14 23:35 | 未分類 | Comment(0) | Trackback(0)
Comment
コメントを書く
#

管理者にだけ表示
Trackback
Trackbak URL:http://2ge448ru.blog65.fc2.com/tb.php/1278-7fa32007
All Rights Reserved 西野空男. Copyright (C) 2007 西野空男&高田馬場つげ義春研究会.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。